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Black Berry / 黒苺

2024.05.16 Thu 「 [PR]
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2006.12.02 Sat 「 無題~プロローグ~novel(Ren)
 

彼のことを思い出す時、その軟い笑みの向こうにはいつも音もなく淡雪が降っている。

吐く息すらも溶け込む一面の雪景色。

年間降水量日本一のこの街に、彼はもういない。

ただ彼の残した亡霊だけが僕を待つ。


 留守番電話に残された母の声を聞いたのは、もう日付の変わった後だった。

 母の生家で一人倉暮らしをしていた高齢の祖母が脳梗塞で倒れ、救急車で運ばれたというのだ。幸い自力で近隣の住人に助けを求めたため、命に別状は無く、後遺症も残らないだろう。お前は勉強が大変だろうから、連絡はしておくけれどわざわざ帰る必要はない。

 要点だけを滑らかに述べるその声は、しかし微かに震えていた。

 空気までもが重苦しいあの街から、逃げるように上京して、もう三年が経っていた。盆にも正月にものらりくらりとかわし続けた帰省の理由に、不十分とは思えない。小さなボストンバッグに着替え一着のみ詰めて、朝一番の新幹線で三時間。一眠りする暇も無い。


「遼!」

改札を出ると母が迎えに来ていた。恥ずかしいほど大きな声で僕を呼ぶ。

「やめろよ母さん。来なくていいって言ったろ」

「いいじゃないの。この前母さんがそっち行ったきりだから半年ぶりでしょうが。早く顔が見たかってん」

そういう母の顔は緩みまくった満面の笑みで、きっと心底嬉しいのだろうと思うとこっちの顔も少し緩んだ。

「あっちはどうや?12月にもなるとこっちぐらい寒いけ?」

「や、まだ生温い風吹くよ。俺めっちゃ薄着できたん今後悔しとるもん」

「こっちはもう雪降っとんにね?家にまだあんたのしとったマフラーやらなんやらあるわ。帰ったら出してあげる」

「ん・・・」

たわいも無い会話を重ねつつ母の運転するワゴンで家に向かう。道沿いに連なる店は大した変化はないものの、つぶれたり新しく出来てたりしていた。

「遼?」

「ん?」

「そういえばこの前あんたの友達から電話あったんよ」

「誰よ?なんて?」

「それが・・・あんたが家におらんって言ったらならいいって。えらい深刻な声してたから気にはなっとったんやけどな。たしかなんとかってバーの店長やって。でもあんたこっちにおった頃バーなんかに出入りしとったん?」

 そこから先の話は覚えていない。波のように押し寄せた記憶が母の声をノイズの様に散らしてしまった。

 バーの店長やってる知り合いなんか一人しかいない。連絡先も何も知らない関係だったのに、どうやって彼が僕の実家の番号を知ったのかは分からないけど、用事ならわかる。正確には、その用事がちやちゃんに関するものだということだけはわかる。僕と彼との接点なんてちやちゃんだけだったから。

 どれだけ忘れようとしても忘れられない過去を、誰しも一つか二つは持っているだろう。僕にとってのそれはちやちゃんと過ごした三ヶ月間。それは、例えるならトラウマにも似た強烈な印象を以ってして僕の中に居座っている。

 一篇の詩の様に美しく、退屈な、ある種の狂気を孕んだ記憶だ。


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